旧 清泉拝中 Old School Band
故我妻忍氏の部屋
我妻忍氏は、2020年11月、お亡くなりになられました。
ここに謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
我妻氏は、米国の人気グループ「ザ・モンキーズ」の大ファンで、とりわけベースギター担当の「ピーター・トーク」のファンでした。
トミーは、我妻氏の訃報をリハーサルに向かう車内でチッチから聞くと、当時を振り返りながら、「中学の時に我妻が、赤色のエレキ・ギターを買ったと聞いたので、その頃ドラムを叩いていた川島と見に行った!!」と思い出を話してくれました。
モンキーズのヒット曲に「デイドリーム・ビリーバー 白日夢」という曲があります。
故我妻忍氏との少し早い別れは、共に過ごした日が白日夢であったかのように思えてしまいます。
さようなら、ミスター・モンキーズ♪♪♪
Daydream Believer
Oh, I could hide 'neath the wings
Of the bluebird as she sings.
The six o'clock alarm would never ring.
But it rings and I rise,
Wipe the sleep out of my eyes.
My shavin' razor's cold and it stings.
Cheer up, Sleepy Jean
Oh, what can it mean
To a daydream believer
And a homecoming queen.
You once thought of me
As a white knight on a steed.
Now you know how happy I can be.
Oh, and our good times start and end
Without dollar one to spend.
But how much, baby, do we really need.
Cheer up, Sleepy Jean.
Oh, what can it mean.
To a daydream believer
And a homecoming queen.
「デイドリーム・ビリーバー」(Daydream Believer・白日夢を信じる人・夢見心地の彼)訳詞
翼の下に隠れられたらいいのに
あのさえずってる青い鳥の
6時の目覚ましが鳴らなければいいのに
でも鳴ってる、それで起きるのさ
眠たい目をこすって
ぼくの髭剃りカミソリは冷たくてヒリヒリするんだ
シャキッとして,眠そうなジーン
ああ、なんだかわかってるのかな
夢見心地の彼(デイドリーム・ビリーバー)と
ホームカミング・クイーン(学園の人気者だった彼女)は
君はぼくのことを
白馬の騎士だと思っていたね
君はぼくがどんなに幸せになれるかわかってるだろ
ああ、ボクたちの楽しいときが始まって終わる
お金は1ドルだって使わずにね
でもやっぱり、ぼくたちは本当にお金が必要だよね
シャキッとして,眠そうなジーン
ああ、なんだかわかってるのかな
夢見心地の彼(デイドリーム・ビリーバー)と
ホームカミング・クイーン(学園の人気者だった彼女)は
外部リンク
デイドリーム・ビリーバー 「ザ・モンキーズ」
https://www.youtube.com/watch?v=PCqwyozi25Q
当時我妻氏は、モンキーズの代表作のLPアルバム「ヘッド・クォーターズ」を所有し、この地味なアルバム(大ヒット曲の灰色の影が入ってます。)を隅々まで聴きいっていました。
ただ、どういう訳かザ・モンキーズ概論のようなヒット曲集を所有しておらず(但し、ヒット曲はすべて知っていましたが、)、他方私は、その頃、ザ・ビートルズの「リボルバー」を購入したものの少しもポップス的ではない芸術的仕上がりのこのアルバムに翻弄され購入を悔やんでいた時でした。
そこで同じクラスの我妻氏と私の密談が始まったのです。彼は、自己が所有するビートルズ初期のポップス曲を収録した「ザ・ビートルズⅥ」と私が所有する「ザ・モンキーズ/ゴールデン・アルバム」との交換を持ち掛けてきました。
当時の中学生ですから親から貰う小遣いには限りがありました。「ザ・ビートルズⅥ」は、キャピタル発売のアルバムでしたので正直私は迷いましたが、彼のファン熱にほどされ快諾しました。
アー、今日からモンキーズの歌が安易に聴けなくなると思いカセットテープに録音した事を思い出します。
この「ヘッド・クォーターズ」は、当時人気絶頂のザ・モンキーズの3枚目のアルバムとして1967年5月20日に発売されました。
6月24日にビルボード・ホット100のトップに躍り出て、その1週間後から11週間2位に留まりました。
その間1位だったのは、ビートルズの最高傑作と評される「サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブバンド」でした。
私は、この時期LPレコード・アルバムの最高傑作は、 ビートルズの「サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブバンド」、モンキーズの「ヘッド・クォーターズ」、タイガースの「ヒューマン・ルネッサンス/1968年11月リリース」だと確信しています。
1967年~68年は、洋・邦楽の軽音楽は、歴史的な活動時期だったんだと思うのです。
その後、ピンク・フロイドの「狂気/1973年3月リリース」等のLPレコード・アルバムの傑作は世に出てきますが、上記の三つのアルバムは、その先駆けとなったアルバムだと思います。
我妻氏とレコード交換をした35年後、同窓会の席上で、私は彼にに「モンキーズのコピーバンドやらない? トミーも入れれば、できると思うんだけど・・・・・・。」と誘いましたが、そのまま計画は進行せずに棚上げの状態となってしまいました。
今、思うと我妻氏は、昭島清泉Live For Todayの幻のメンバーだったのでしょう。
昭島清泉LFTもモンキーズの「ステッピン・ストン」をレパートリーに入れています。
「ピーター・我妻」のベースで、この曲を演奏できなかったことは、大変残念に思います。
あと数十年経ち今度は向こうの世界で、彼にもう一度話したいと思います。
「モンキーズのコピーバンドやろうよ。やろうよ!!!!!!!」と・・・・・・・・。
故我妻忍氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
外部リンク
灰色の影 「ザ・モンキーズ」
https://www.youtube.com/watch?v=SubpzqswJRE
シゲが交換した「ザ・モンキーズ/ゴールデン・アルバム」のジャケット